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ロータリーのマジック「The Magic of Rotary」
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地区信条 |
「行動しよう、未来のために」(変革に取り組もう)
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クラブ運営方針 |
「創立の精神に立ち戻り会員相互の親睦の中から奉仕の理想を生み出す仕組み作り」 |
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THE FUTURE OF ROTARY IS
IN YOUR HANDS
ロータリーの未来は あなたの手の中に
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創立総会は1974年(昭和49年)4月29日、振返って私のロータリー歴で最も多忙な二年の総決算でありました。前年度当クラブのスポンサークラブである尾道クラブの幹事を仰せつかると同時に、その年は尾道クラブの創立20周年の年でもありました。大阪からの帰り車中で次年度会長の長谷川政雄さんと偶然同席し幹事を要請されました。
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【創立経過報告 中央が八木特別代表】 |
長谷川さんは温厚篤実、頭の切れる方で、その上ロータリーの事もお詳しく、大変人望のある方でした。それだけにもう大変驚いた次第ですが副会長は人も知る藤井吉蔵さん、うんもすんもなく幹事を引受ける事になりました。
クラブの要としての幹事の仕事は、もちろんの事クラブ創立20周年記念行事の準備・実行委員会の計画・予算・行事の各種段取りの忙しい日々でした。
その最中です尾道と縁のある、次年度ガバナー松本卓臣氏から強くアディショナルクラブを作るよう要請がありました。すでに尾道クラブは歴代ガバナーより、その要請を受けて数年経過しておりましたが新しく東尾道地区が造成された時でもあり一揆にその運びとなりました。
2月4日尾道クラブ創立20周年記念祝典が終るや、3月2日我クラブ結成準備委員会が発足、6月8日特別代表を八木寛先生にお願い新年度新クラブ結成準備委員会が翌4月創立をめどに構成されました。「当初準備期間(5年もかかった)が長かったので、“やゆ”されましたが手をつけてから一年足らずで出来たのは素晴らしいと、おほめの言葉を賜りました。クラブの特色は尾道クラブより12名が加入され、この人達がクラブの核となって推進されると同時に、新しいメンバーの方は、新しい造成地へ進出した新進気鋭の事業家も多いだけに若々しくたくましいクラブだ」(八木寛談)
「藍より出てて藍より濃し」という諺通り、新クラブは逞しく成長し、その活動は、スポンサークラブを凌駕し、地域社会の良心として、地域の皆様に喜ばれ、頼みにされるクラブとして成長し、尾道クラブと琴瑟相和する友好クラブとして末長く発展するだろう。(尾道クラブ藤井武雄会長)
創立総会は、午前11時より東尾道の尾道総合卸センター(ベイタウン尾道)会議室にて、第369区松本ガバナー、同梅沢幹事、同第6分区長谷川代理、スポンサークラブの尾道クラブ藤井会長を来賓とし、また尾道クラブ会員全員の友情参加も得、簡素の中にも厳粛にとり行われた。
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【尾道総合卸センター 組合会館に於いて】
前列向って左から5番目が、特別代表八木寛、続いて右へ、第369地区ガバナー松本卓臣、同地区幹事梅沢良二、同第6分区代理長谷川政雄、スポンサークラブ尾道RC会長藤井武雄、同副会長入船裕二、同幹事寺本守三の諸君。
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昭和49年創立当時は、「生れるとすぐ歩きだしたクラブ」とか「少し出来すぎのクラブで可愛い気がない」とか評されて、少々窮屈な思いをしながら10周年わ迎えました。地域社会に新しい奉仕団体として定着し |
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10年の節目だけにその存在価値が問われる訳で緊張の中にも周知を集めて全員で記念事業に取り組みました。
日本はオイルショックの後遺症を克服しゆるやかながら経済成長を続ける一方で、私達の住む社会に幸福感はなく、逆に戸惑いや不安の増長する社会状況でした。物の豊かから心の充足・精神の安らぎを求める時代の転換期の中で、真に豊かな地域社会の実現の為にロータリークラブとして何をなすべきか真剣に議論を重ねました。
そして、急速に進んでいる高齢化社会への対応という事で「老人の健康と生き甲斐」への奉仕をテーマに取り組みました。先ずロータリーカップを創設し、毎年春に争奪ゲートボール大会を開催する。又、各地域へ出向いて、健康・文化教養講座を開くなど市民の関心をよびました。そして、これらの事業を継続的に実行する為に「社会奉仕基金」を創設致しました。又一方で、青少年への奉仕という事で、当クラブとしては初めてロータリー国際交換学生の派遣受入れを実行しました。オハイオ州出身のスティーブ君は北高へ通学し帰国後、シンシナティ大学を卒業後マイクロチップという会社に勤務。すぐ東支社に配属され日本人の奥さんとの間に一男をもうけ一昨年より本社勤務になっております。一方派遣した大前さんは現在市内で勤務しておられるようです。二人共立派な社会人に成長し、お互いの国の文化を理解し、経験と堪能な語学を生かして活躍中とのことです。
さて、あれから20年の歳月が流れました。世界がそして日本がおかれている状況は我々の努力で少しは進歩・前進したのでしょうか? 地球或いは人類規模で避けて通れない大きな課題があるのではないかと思う昨今です。 |
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博田尾道市長様を始め御来賓の方々、国際ロータリー第2710地区林ガバナーを初めロータリー関係の御来賓の方々の御臨席を賜り、また親クラブであります尾道ロータリークラブ会員多数の御参加のもとに、尾道東ロータリークラブ創立20周年記念式典がこの様に盛大に |
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開催出来ますことは、私共の深く喜びとするとことろであり、厚く心から御礼申し上げる次第でございます。
私共のクラブは、今から20年前の1974年、尾道ロータリークラブのお世話により、尾道クラブの会員が醜の御楯として移籍しました。私もその一人ですが、合計30名でスタートし、現在会員60名であります。
設立にあたりましては、尾道クラブの今は亡き八木特別代表に大変お世話になりました。創立総会での八本代表の御挨拶に「普通赤ん坊は生まれた時は、オギャアオギャアだけで、なにもできないんだが、東クラブは生れた途端に、サッサと歩きだした。呱々の声をあげたクラブにしては、随分早熟だ」と、仰ったことを懐かしく思い出します。八木先生がお元気で、今日のこの式典にいらっしゃいましたら「早熟であったがお前達は、まあ成人式を迎えたなあ」とニコニコ笑っておっしゃっただろうと思うと、先生がいらっしゃらないのが、まことに残念でたまりません。先生のご遺志を胸に刻みまして、今後の私達のロータリーの奉仕活動を続けていきたいと考えております。
さて、わが国で1211番目のクラブとして発足し、星は移り、人は変わりながら、20年の歩みをつづけて参りましたが、この間、地区ガバナーのご指導、近隣諸クラブの御支援を賜わりまして、また会員相互の友愛を深めながら、奉仕の理想を求めて参りました。大変地味ではございますが、この10年間尾道東ロータリーカップゲートボール大会をつづけて参りました。毎回数百人のご参加を頂きまして、お年寄りに随分楽しみにして、また、喜んでいただいております。それから今一つ、尾道東ロータリークラブ社会奉仕賞を設定しております。
何ら報われることなく、日の当らない場所でボランティア活動をしていらっしゃる方、例えば雨の日も風の日も国道2号線の久保町一帯の清掃をしていらっしゃいます樹田友三郎さん、南米のエルサルバドルの国立音楽センターで永年音楽の指導に当られた正木路子さん、それから尾道市民の文化レベルアップするということで随分貢献のございます音楽の景山勝博先生、尾道市民を元気にし、勇気を与えてくれます一休神社ベッチャー太鼓保存会、こうした方々を励まし、また表彰させて頂いております。
私共は創立20周年を契機に、決意も新たに次なる30周年に向かって、新クラブの結成、それから海外友好クラブとの提供等前向きに検討いたしまして、奉仕の理想を求めつつ、一歩一歩前進する所存であります。
本年度国際ロータリー、バース会長のテーマ「Believe
in what you do. Do what you believe in.」“行動に信念を、信念は行動に”の真意を心に刻み、信念をもって行動するとき、ロータリーの歯車が象徴するもの、即ち奉仕の道を最高度に実演出来るものと信じております。
一方、ロータリー活動は肩の力を抜くことも必要だと思います。論語の中に“之を知るものは、之を好むものに如かず。之を好むものは、之を楽しむものに如かず”というのがこざいます。ロータリーを楽しむことが口ータリーの本質を理解することに通ずることだと考えます。
私達はこれからもロータリーを大いに楽しみたいと考えております。どうか林ガバナーを初め、御来賓の方々の今後とも変わらぬ御指導と御支援をよろしくお願いいたしまして、私のご挨拶とさせて頂きます。本日はどうもありがとうこざいました。 |
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